プロフィール

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高 田 青 治 略 歴
1951 2月21日、福岡県大牟田市に生まれる。父精丙(川柳作家としての雅号しかを)、母テイの次男。男2人、女2人兄姉の第4子。青治は本名。
1963 12歳 小学校の頃、悪餓鬼で褒められたことがなく、中学校の美術教師より絵を褒められ有頂天になる。
1964 13歳 兄(千昭)より油彩画道具一式を買ってもらい絵を描き始める。
兄の手続きにより東京芸術大学の夏期講習を受講。この時、兄の友人から山口薫の絵や人柄の話を聞き夢中になる。この頃から漠然と絵描きになりたいと思う。
1966 15歳 高校には行かず絵を描くつもりだったが兄の説得により高校入学。美術部に入部し鷹尾和敏先生の薫陶を受ける。
1967 16歳 修学旅行に行かず、その費用で二度目の東京芸術大学の夏期講習を受講。
山口薫に絵を観てもらいたくて東京芸術大学を目指す。
一度の人生、好きなことをしたいと考える。
この頃からか、坂本繁二郎や熊谷守一の画業、生きかたに自覚的な共感を抱くようになる。
1969 18歳 高校時代、十個の授賞歴を持って東京芸術大学を受験するが不合格。
福岡県立三池高校卒業。
卒業式に出席せず、3月に上京、牛乳配達をしながら高円寺にある「フォルム研究所」へ通い再度、東京芸術大学を目指す。
1970 19歳 受験寸前の1月下旬、重篤な肝臓障害を起こし下宿をそのままに大牟田へ帰郷。
入院。6ヶ月の入院生活中、絵描きの道を諦めることも考えたができず、体調が少し良くなると病院を抜け出し自宅からクレヨンを持ち出して病院の非常階段の踊り場で制作に熱中。退院後、油絵を描くがパレットを東京に置いていたため新聞紙をパレット代わりに使い、偶然に油抜きの手法を知りその後続ける。
この年から鬚を剃らずそのままの状態。
1971 20歳 入院中から続けているカット描きの代金であこがれの北海道の旅。
帰宅後、肝臓病の悪化のため入院を勧められるが拒否。自宅療養。
大牟田綜合美術展に出品。授賞し会員に推挙されるが、美術協会費未納のため会員を抹消される。以後あらゆる公募展には出品せず。
「絵描きはひとりで描き、ひとりで悩むもの」とあらためて自覚する。
1972 21歳 体調が快復しアルバイトをして自宅の庭に20畳ほどの仕事場を建てる。
初めて個展を画材屋の二階で開く。
個展(もり画廊)大牟田'72 '74 '75 '80
1975 24歳 個展(養清堂画廊)銀座
1978 27歳 個展(井筒屋)大牟田'78 '79 '82
1981 30歳 「二人展」(TAMAYAアートギャラリー銀座)
「高田青治の世界」(ギャラリースペース3)吉祥寺
この頃より2ヶ月間、盆提灯の家紋描きをして一年間の生活費を捻出。
1984 33歳 「高田青治油絵20年展」(福岡市美術館)
福岡市美術館の作品審査を受け、広い会場を借りて100余点を展示。この時、美術評論家の谷口治達氏と出会う。また後年、恩人ともいうべき存在となるデザイナー高林秀明氏とも出会う。
1985 34歳 父精丙没。
谷口治達氏の企画による「九州新鋭画家・第一回コーラル展」(福岡日動画廊)出品。 第10回展終了まで参加。
1987 36歳 「筑後・若い世代の洋画展」 釉(100号)現(100号)出品、授賞(石橋美術館)。
1989 38歳 母方の実家跡に仕事場兼住まいを建てて引越す。
1991 40歳 個展(由布院空想の森美術館)
由布院空想の森美術館、開館6年目で初の美術評が載り入館者数が1万人となる。
「信念貫く独学の新鋭」読売新聞 文・秋山敬
長男、野草生まれる。
1992 41歳 高林秀明氏の依頼によりパステル画100点を制作、「ホテルブラッサム福岡」(現、JR九州ホテル福岡)に納品。 この時からパステル画を本格的に描き始める。
1993 42歳 母テイ没。
1994 43歳 個展(福岡日動画廊)
「精神的で奥深い静寂感」西日本新聞 文・吉田浩
画集刊行。
画集が縁で東京の画商と出会い10年余り続くが訣別。
この年で盆提灯の家紋描きを勇退する。
月刊「はかた」に掲載。 文・谷口治達
季刊誌「ICHIBAN」に掲載。
「作家たちは、今」読売新聞夕刊 文・秋山敬
1995 44歳 個展(由布院空想の森美術館)
「高田青治さんを囲む夕べ」ロベール・コーネン、宮本都、チェンバロ・デュオ参加(由布院空想の森美術館10周年企画)
「日本画を思わせる静謐な作品」熊本日日新聞 文・山口純
「第4回英展」(田川市美術館)雪間(100号)出品。
月刊「はかた」に掲載。 文・吉田浩
1996 45歳 個展(あまねや工芸店)福岡
「翔の会展」(福岡日動画廊)出品。
「財界九州」に掲載 文・松岡博
1997 46歳 個展(由布院駅アートホール)
「高田青治氏を迎えて」(由布院駅アートホールフォーラム)
「森の散歩道」に掲載 文・高見乾司
1998 47歳 個展(ギャラリー尾形)東京'98 '00
1999 48歳 個展(福岡日動画廊)
個展(早良美術館るうゑ)福岡'99 '07 
「孤高の画家・高田青治は語る」アクロス文化であい塾(アクロス福岡)
2000 49歳 個展(アスクエア神田ギャラリー・ギャラリー尾形、同時開催)東京
日本経済新聞に美術評が掲載され、さらに月刊「ギャラリー」に取材記事が載ったことで、全国から画廊へ観たこともない絵の注文が電話でなされてくるのを見聞きし、怪訝な気持ちを抱かせられる。
「無作為に潜む厳粛の響き」日本経済新聞 文・竹田博志
「懐疑が続くから描ける、自己の内側を見つめる営為」月刊「ギャラリー」
画集刊行・第二集。
月刊「西日本文化」掲載。 文・日動画廊
2001 50歳 「新たなる視覚展」(福岡日動画廊)出品。
個展(アスクエア神田ギャラリー)東京
50歳を記念して12cm四方、厚さ2cmの板に油彩で描き50点を展示。
会場にて御子柴大三氏と対談。
「新翔の会展」(福岡日動画廊)出品。
2002 51歳 個展(ギャラリー尾形)福岡
「残像を描く独自の質感」読売新聞夕刊 文・白石知子
個展(ドゥプラン・ギャラリー)福岡'02 '03 '04
「光沢抑えざらつく絵肌」日本経済新聞夕刊 文・中山真由美
「居心地のよさに長居をしたくなる絵画展」読売新聞 文・小林奈緒美
「爽風会展」(福岡日動画廊)出品。
「第11回英展」(田川市美術館)景(100号)出品。
2004 53歳 「四人展」(松屋)大牟田
2005 54歳 個展(ギャラリーとくなが)福岡
詩画集『かぜのあしあと』刊行(詩・各務章 パステル画・高田青治)、高林秀明氏の企画編集による。限定50部、非売品20部発行。完売。
この時、6ヶ月間で600点のパステル画を制作。「ギャラリーとくなが」にて展示。
「毎日、絵を描かんといかん」西日本新聞 文・西志麻子
2006 55歳 個展(画廊椿)千葉'06 '07
JRグループ老人ホーム「SJR別院」に油彩画とパステル画を納品。
高林秀明氏の企画により、この年から毎年、パステル画のカレンダーを発行。
2007 56歳 個展(フォルム画廊)銀座 ‘07 ‘08‘10
福島葉子氏が推薦文。
「18人の自画像と作品展」出品(森画廊)姫路
2008 57歳 個展(ギャラリーアールグレイ)久留米 ‘08‘09
2009 58歳 個展(ギャラリー櫟)東京
2010 59歳 パステル画展(珈琲美美)福岡
個展(ギャラリーとくなが)福岡
『江上茂雄作品集』に寄稿文を書く。
2011 60歳 個展(ギャラリーとくなが)福岡
カレンダー原画も同時展示。
2012 61歳 第1回「自作を語る」(日時計の丘)福岡
個展(新天町村岡屋ギャラリー)福岡 ‘12‘13
2013 62歳 個展(村岡屋本店ギャラリー彩)佐賀
個展(フォルム画廊)銀座
個展(ギャラリーエス・ピオーネ)福岡
2014 63歳 個展(新天町村岡屋ギャラリー)福岡 、カレンダー原画も同時展示。
「生かし生かされる・へそ曲がりの画家」西日本新聞 文・南陽子
黒川温泉 お宿「野の花」に油彩画とパステル画を10点納品。